どうも、これからの人生を決めていかなければならない星空家です。自分の夢ってなんだろうか。やりたいことってなんだろうかってよく考えるんですよね。今更なんですが、結構考えてます。
自分の夢ってなんだろう
自分の夢ってなんなんでしょうね。ぼくは、中学生の頃から悩んでいました。
なりたい職業や夢を持たないことに。
ぼくの最初の夢はピカチュウ
夢について思い返すことといえば、一番最初になりたいものとして上げたのはピカチュウだと言う話を聞きました。
幼稚園の頃だったでしょうか。ピカチュウになりたかったんです笑
可愛らしくて、愛らしいキャラクターに憧れたんでしょうか…あの頃の自分。
ちょっと人生が変わっていたら、ぼくは黄色い電気を発する生き物を目指していたかもしれません。
夢に悩んだのは中学生の頃
ぼくが夢に大きく悩んだのは、中学生の頃です。
あの頃の悩みといえば、なぜぼくには夢がないのか。
他の人が、消防士や警察やなんだかんだになりたいというはっきりしたものを持っているのに。
なぜ、僕は胸はって言える夢を持っていないんだろうかと。
思春期真っ最中の悩みでしたねぇ。いやぁ若い。そんなころもありました。
そこで行き着いた考えは、環境のせい
その当時に出した答えは、環境のせいでした。
我ながらいいところに気がついたと思いませんか?(ぇ?
あくまで、ぼくが夢を持っていないのは環境のせいなんだ!って思ってました。
僕が住んでいたところは、若い人には夢もかけらもない種子島という田舎も田舎。
ある程度の街に出るためには移動費だけで1万円かかるようなど田舎です。
そんな中に住んでいたら、世の中にある仕事の中の一部しか知りえません。
その状態で、自分の夢なんて見つけられっこない。っていうのが僕の回答です。
そんな中、唯一見つけたのが声優という仕事
あの頃、唯一と言ってもいいなりたいという仕事は声優というお仕事でした。
きっかけは、らき☆すたの武道館ライブのDVDをみたことから始まりました。
初めて見たときの感動たるやびっくりするものでしたよ。
それまでは、アニメを楽しんでいるだけだったのに武道館で声優さんが歌って笑って楽しんでいる姿を見てとても輝いているように見えました。
というか、ぼくのなかでは輝いていたんです。
そのライブDVDは徹夜で何度となく見ましたが、なんどとなく感動しています。
その感動体験が、僕を声優に引き寄せる唯一の理由でした。
その夢は親に潰されかけた…
そして、その思いは高校まで続きました。
そして、高校2年の最後かな。進学クラスに属していましたが、その時の担任の先生に
声優の養成所に通うために、仕事をしたいから就職クラスに移してください。
と直談判したのを覚えています。懐かしいなぁ。
あのときの担任は、何を考えてるんだこいつレベルだったでしょうねぇ。ご迷惑おかけしました。
結局は、その先生に諭され就職を諦めてしまいました。
とりあえず、短期大学をでろってことで短期大学にいきましたけど…4年大に行って奨学金借りなくてよかったと思ってます。
目的のない大学生活だったけど楽しかった
こういう経緯で入った短期大学でしたけど、思いの外楽しかったです。
ちょっと、PCスキルがあるからと行って情報学科に入りましたが、中身でそれらしい勉強をした覚えはありませんね笑
でも、大学在学中に、ボイストレーナーが教えてくれるアナウンス講座を受けられたり。
とても面白く、自分にない魅力を持つ仲間に出会えたり。
FMラジオの番組に携われたり。楽しい学生生活と言えたと思います。
上以外では、ひどい生活をしていたと思いますけどね。家とバイト先の往復だったり。
パチンコ屋の往復だったり。自分のやりたいことをやり続けた2年間だったと思います。
そこで、声優になりたい思いも強めました。それに、ラジオと言う媒体にも興味を持ち始めました。
大学卒業前…やりたい仕事がなく就職も決まるはずなく
大学を卒業するときは、みんながみんなして就職を目指します。
就職活動というものですね。
ゼミのみんなが就職をしていく中で、自分だけが取り残されていく。
未だにやりたいことも決まっていないのに。そりゃそうですよね。
でも、就職している組の話を聞いているとまた違和感があったり…悩み多き時期でしたよ。
就職を早く決めている人は、言い方は悪いですが「嘘八百」でやっているように見えたんです。
面接の時に、自分を少し大きく見せて合格しているように見えたんです。それが得意な人たちから就職しているようで。
あとから考えれば、就職が決まった組への妬みだったんでしょうね。こんな就活してやるかって思ってました。
地元の企業に就職するも半年で断念
なんだかんだあって、地元の中小企業にぎりぎりInできました。
もう、どこでもいいやって言う感じでハローワークの求人から応募したと思います。
給料も、地元の中ではいい方で業務内容も魅力的なものです。
しかし、半年ほどで体調を崩し続けられないと思い退職をしました。
車で20分位のところから通勤していましたが、帰るときに毎回強い痛みと涙が出てくるんです。
今も、強いストレスを感じるとそうなりますが、毎日だったもので危機感を感じました。
会社の上司も、お前は他の業種の方があっているよって言う判断ですんなり止めさせてくれました。
介護とかどうだって言われましたけど、あってるんですかねぇ。個人的には絶対イヤですが。
そこからまた、夢について考える日々
その会社をやめてから、しばらく自分について考える時間がありました。
他に職業を見つけなきゃいけないと思っていましたが、なかなか決まらずですね。
市の臨時職員になってみようと思ったり、県の臨時職員になってみようとしたり
安定しているものを目指していた気がします。結局、ならなかったんですが。
最終的に、季節の酒造工場で1ヶ月ほど働きました。
そのときに、ある程度考えがまとまっていて、高校の頃の夢を追ってみようという結論に。
だから、酒造工場の給料で声優の養成所の入学試験を受けに行きました。
夢としてくすぶってるなら、足を突っ込んでみようって。そうしたら、本当に目指しているのかわかるからって。
結局、夢じゃなかったのかもと気がついた
その後、大阪まで行って声優の養成所へ入学試験を受けに行ったんです。
その時はもう気がついていたかな?声優になりたいじゃなくて、養成所に行ってみたいって言う気持ちに。
声優になりたい声優になりたいっと言ってはいましたが、現実問題かなり厳しい仕事であることはわかっていました。
今は、調べれば色んな情報が出ますからね。声優はほんの一握りの人しかなれない職業です。
それになってる人は殆ど中高生のころから養成所入りしている…。
それを知った今でもなりたいのか・・・って言われたら、ノーと言うしかないですよね。なかったです。
でも、夢としては諦められないし、自分のプライドもありましたので養成所に生きたいってなったんです。
結局、養成所の試験を受けて同日の試験メンバーの面々を見て愕然としました。
このレベルなんだなぁって。こんなレベルなんだって。
そして、合格通知ももらいましたが、このレベルでいいんだって実感してしまったのでもう行くことはなかったですね。
自分で経験してみることの大切さ
この経験から、ぼくは自分で経験することの大切さを実感しました。
この経験がなければ、今も嫌な仕事をする中で声優という夢にすがっていたかもしれません。
でも、一度挑戦してみた結果今は違うものが見えています。
この経験がなかったら、本当にそう考えることはなかったから。
自分で経験することってとても大切なんだって思っています。
これから、僕ももう一度挑戦をしてみようと思っています。自分の建てた道で進んで見る。
そこで失敗してもいいやと思って怖がらずに行ってみたい。と思ってるんです。
次の挑戦は、WEBラジオサービスの開発
ぼくの次の挑戦は、WEBラジオサービスの開発です。
声優になりたいと思った過程で、いろいろ考えた結果ラジオをやりたいと思っていたんです。
自分のラジオを持ってみたいって。
そこが強くあったものですから、ラジオをやってみようと思っています。
それも、自分で公開場所を作ってのラジオ。楽しいと思いませんか?
個人が投稿できるラジオサイトを作って、個人ラジオをたくさんの人に聞いてもらいたい。
もちろん、自分が聞いてほしいってのが一番ですけどね。
そのために、お金を集め勉強しにいきます
そのために、一気にお金をためて勉強しにいきます。
来月末には、もう自動車工場で働いているかもしれませんね。
3ヶ月ほど、期間工として働き一気にお金をため、そのお金でテックキャンプに通います。
そして、自分が本当にやりたいことなのか見定める。
その間に、他にやりたいことを見つけたときはそれに移ったりしますが大方そのつもりでやっていきます。
自動車工場蹴られたときはどうしようね。貯金もないからどうしようもなくなるよ笑
でも、なんとかやっていこうと思いますよ。というかなんとかする。
そう考えて、今は頑張っていこうと思います。
その夢を支えるために、このブログでも収益を上げてほしいですね!
頑張っていきましょう。
ここまでお読み下さりありがとうございます。ながなが隣りましたが、自分の夢からこれからのことまでかけたと思います。備忘録的な意味で残しましょうか。