どうも、星空家です。
最近考える時間が増えましたね。
つい先日の記事、イケダハヤト氏が書いていた記事が響きましたので抜粋します。
考えること、それは自分と向き合う時間
最近、考えてて思うのですがなんで考えるんでしょうね。
考えたところでいいことないってわかってるのに、流されたほうが楽だってわかってるのに
なんででしょうね。
ブログを書く=自分の意見を書く
まず、イケダハヤト氏の記事から抜粋。お借りします。
社会人になると、つい忙しくなって、自分のやりたいことや、自分のほんとうの気持ちを「スルー」しちゃうんですよね。多少仕事がつまらなくても、職場に行ってしまえば、それなりに自分の居場所があって、仕事に忙殺されることができます。
忙しいのって、楽なんですよ。思考停止できるから。それなりにお金も貰えますしね。
中略
社会人になると、ほとんどの人は、自分の言葉を失ってしまいます。サラリーマンが「独自の意見」を求められることなんてありません。経営者は、「言われたことをやってくれる人」がほしいんですよ。
言葉を失った人間は、機械と変わりません。忙しく働いている社会人こそ、休日の時間を使って、自分の言葉を繰り出してください。これは資本主義に流されないための、もっとも効果的な「抵抗」です。
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有意義な休日の使い方として、ブログをかけ!って言ってる部分ですが、こんなことを書いていました。
ブログって自分の意見しか書けないんです。自分の気持ちを書いていかなきゃ、とても長い文章は書けない。
それこそ、コピペばかりの面白くない文章になっちゃいます。
自分の意見をはっきりさせるための手段として ブログをかけ!と言ってるんですね。
考えることをしない人たち
最近の人も、お年を召した人も考えることをしない人たちがあまりにも多いように見られます。
たいていの人は、ある事についてどうおもう?と聞いても
知らない。考えたことない。考えたくもない。考えるのが面倒くさい。といいます。
わたしはとても悲しくなります。
何故考えようとしないのか。何故そこで止まってしまうのか。
今のわたしにはできないから、今の実力じゃできないから、今の現状に満足するふりをして考えないようにしている。
いまのわたしじゃ釣り合わないから、今のままではだめだから、あきらめている。
とても見ていられない話です。
考えるとは立ち向かうこと
わたしにとって考えることは、立ち向かうことだと考えています。
目の前の事象に対して、逃げずに立ち向かうこと。
考えて考えて考えて、それでもまだ考える。
出ている答えに対して、よりよい答えを追い求めるがゆえに。
考えて、もっと良い答えを出すためにただひたすらに戦う。立ち向かう。
そうやって立ち向かう意思が少ないのかな、とは感じます。
立ち向かわずに、中途半端に出た答えを選んだほうが楽ですもん。
今の時代は立ち向かう必要がなくなった
今の時代は立ち向かう必要がなくなりました。
世の中にはインターネットが普及し、自分と同じような悩みを持つ人をたくさん見つけることができます。
自分と同じように悩み、苦しみ、答えを出した人が出した答えが載っています。
ネット上に上がるような意見は匿名の人が賛同をしていて、さも良い意見のように見えますね。
だからこそ、それを信じていればよいという安心感に包まれる。
その安心感を簡単に得られる時代だからこそ、考える人が少なくなったのではないでしょうか。
実際、その通りに答えを出したら成功するかもしれません。もし、成功しなかったとしてもその責任は自分ではなくその答えを投稿した人に責任転嫁できます。
自分に責任を持たなくともよい時代に生まれてしまったのですね。
わたしは、自分に責任を持たない生き方はよしとしません。
でも、今の時代を生きやすくするにはそのような考え方を持つのも時には必要なのかもしれませんね。
ネットの情報を鵜呑みにするのが怖くなった。
わたしは、最近考えていました。
その時に、いつもは見ているはずのネットの情報を見るのがとても怖くなりました。
その考えて出した結果が、わたしのこれからの人生に大きな変化を加えることだったからです。
そんな大事な選択に、ネットの誰とも知らない人の意見を信じて選択してよいのでしょうか。
そうして選択して失敗した場合、自分は誰に責任を求めるのでしょうか。
逆に、その結果に納得することができるのでしょうか。
納得できるはずがありませんよね。ネットの情報なんて信じて、行動して失敗したら。
また、ネットの情報を信じて結果を推測しそれに納得してしまう自分が怖かった。
本当はやってみなきゃわからないのに、試したり確認してみなきゃわからないのに。
ネット上の自分と同じような体験談を信じ込んで、最終的にはこうなるのかと結果を知ったような気になって、あきらめてしまう。
そんな簡単に諦めてしまえることなら最初から悩んでいません。
でも、ネット上の情報にはそれだけの魅力がある。体験談とその本人が語っている言葉が。
そして、それを見て賛同している大衆の意見が。そこには載っている。
それを信じれは、わたし以外のほかの人だって納得してくれるんじゃないか。認めてくれるんじゃないかという錯覚。
たとえ、選択して出てきた結果が自分が望むものとは違っても。ネットでこう書かれてたから仕方ないよね。って。
そうなることが、わたしはこわい。
そんなことで済まされていい問題ではない。
そう思うからこそわたしは考え、よりよい答えを求める。
そうやって出した結果が、自分の納得するものになるように…。